2005-05-18

ナルニア

これまた今頃になってナルニアを読み始めたのだが。
トールキンとルイスが大学の同僚であり、物語クラブのメンバーという創作を通しての友人だったので、トールキン関連の文章を読んでいると少なからずルイスとの比較が出てくる。DVDの特典でもルイスについて触れられていたぐらいだ。
そういう際に必ず言われるのは「対称的」な二人だということ。創作面で言えば、「神」の登場をかたくなに拒んだトールキンと、キリスト教思想の体現としての作品を作ったルイスというのは立脚点からまっすぐ正反対だ。

指輪は子供の頃に序章で挫折して、映画をきっかけとして通読した。ナルニアは食わず嫌いというわけでもなく、機会が無くて読んでいなかったものをやはり映画化で興味を引かれて読み始めた。大人になってから読んだ(ちなみにゲド戦記も)、そして文学研究に携わるようになってから読んだという点では条件は同じなんだけど、印象はまさしく正反対。
トールキンの世界は混沌を許容する。価値観はかなり多様で、「正しさ」を信じない。しかし、「もっとも小さきもの」であるホビットが世界の命運を担うことができる。
ルイスはもっと教条的だ。保守的で、ジェンダーバイアスがばりばりにかかっている。(トールキンもジェンダーバイアスは強いし、時代の限界というものがあるのもよく分かるんだけど。)ひとつの価値観に基づいた「正しさ」がはっきりと示され、主人公である子供たちははじめ躓き、間違った行いをしたとしても、必ず「正しさ」の方向へ修正されていく。

どっちが魅力的かは単なる好みの問題かも知れない。でも私としてはトールキンの方が楽だ。トールキンは女性登場人物が極端に少ない(それ自体がバイアスだともいえるが)ので、読んでいて常に偏りを意識させられる、というほどではないが、ルイスの場合はなまじ主人公に女の子がいたりするためにひとつひとつの「女の子というものは」云々という表現に引っかかってしまって、物語の楽しさにすっと入っていけない。
その上、男女共学批判やら、当然だがキリスト教思想やらが出てくるので、一々その辺でため息が出てしまう。なまじ文章を読み込むトレーニングを受けているために余計に気になるというところもあるんだろう。そしてお定まりの「正しさ」に落としどころが用意されているあたりが何ともむず痒い。

色々考えずにすむ子供の頃に読んでおきたかったなあ、とも思うのだが、ジェンダーバイアスというのはそうやって小さい頃から言説の反復で強化されて確立するものだから、それも善し悪しだろう。大体私は子供の頃もバイアスが気になって女の子の登場人物にコミットできなかったクチだし。

思えば「ライオンと魔女」の、フォーンのタムナスさんが尻尾を腕に巻いてルーシィと傘を差して雪道を歩くシーンや箪笥を抜けてナルニアに入るとなぜか街灯がぽつんと立っている、という情景描写を読んだときの新しい物語世界に入っていくわくわくした期待感が一番ステキだったかも…。

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