2006-06-13

文学

好きだった、大好きだった。

学ぶことも、考えることも、分析することも。
新しい知識に触れ、蓄積し、それが自分の中で体系化されていくあの感触。
特別な時間を贅沢に過ごしたんだと思う。

今の苦境も、結局は自分が招いたことだ。
自分の決断に(もしくは決断できなかった自分に)
責任を取らねばならないということ。
多分それだけ。

それでも、与えられた場所があるのだからそのために努力しなくては。
最後まで頑張ろう。出来ることはそれだけだ。
最後まであきらめずに頑張ろう。

2006-02-21

茶壺と蓋碗


中国茶の茶壺は水道水で洗ってはいけないと言われている。
塩素を吸収して、お茶の味に影響が出るから必ず沸騰したお湯ですすぐのが良いと。

うちにも一つだけ茶壺がある。
高い物ではないが、手作りで、凹凸があるのになめらかな土の表面をしている。
私には大事な物なので、一生懸命マニュアル通りに沸騰湯で洗って使っていた。
そのうちに、お茶に向かう気合いがないときには使わなくなり、 とある蓋碗を入手したのと入れ替わりに台所の片隅の茶道具コーナーに収まってしまった。

蓋碗というのは茶托と蓋のついた茶碗で、これもまた中国茶の茶道具の一つ。
茶を飲むのにも使えるし、淹れることも出来る。
素材は大体磁器かガラスの物が多いのだが、私の蓋碗は土物。常滑の産だ。
おそらく釉はかかっていない、ざらりとした手触り。しかし繊細。
安定性も良く、ガラスなどに比べて熱くなりにくい。とても使いやすいのだ。
その使いやすさと、土物ゆえに雑味を吸収して綺麗なお茶を入れてくれる質の良さに、あっという間に私の中国茶器はこの蓋碗一辺倒になってしまった。

で、ある時ふと気付いたのだ。
私はこの蓋碗を、何の疑問も持たずに水道水で洗っていることに。
日本茶の急須よりも、茶壺よりもよっぽど塩素を吸収しやすそうな蓋碗。
しかし、そのせいでお茶の味が悪くなったとは全く感じられない。
変わらずに甘みの際だつ、すっきりとしたお茶を飲ませてくれる。

台湾茶芸のイメージもあって、中国茶は複雑な手順を踏まなくてはならないと言う無意識の規範にいつのまにやら私も囚われていたようだ。
そんなことよりも、日常の中で茶を楽しみ、茶の時間を楽しむのでなければ、折角の茶器も茶道具も、手元にある甲斐がないというもの。

久方ぶりに茶壺を引っ張り出して台湾の梨山茶を入れた。
茶海にお茶が注がれるこぽこぽと小さな音。
香りが鼻の奥から口に、目の奥にまで抜けていく。
そして、思い切りよく茶壺を水道水で洗った。
きっと味は変わらないだろう。
変わったとしても、それはそれでよいのだ。

2006-01-02

僥倖からの始まり

「良い入門書を書ける人こそ一流だ」と、尊敬する先輩がよく口にする。分かりにくいことを分かりにくく書くのは意外に簡単なこと。難しいことこそ、誰にでも分かるようにかけるのが能力なのだという主張には私も全面的に同意する。
それに加えて、入門書とはその世界への扉になるものだ。どのドアから入るかで、その世界の印象と深みは全く違うものになる。

私の歌舞伎入門はまさに僥倖だった。
高校生の私は歌舞伎に興味はあるが、テレビでさえいくらも見ておらず、ただ図書館にあった玉三郎丈の写真集で信じられないくらい美しい人が実在することを知ったばかりの、にわかファンという程でもない、全くの素人だった。(今もそれは変わらないけど。)
そんな高校生が初めて歌舞伎の舞台を見たのは山鹿の八千代座。玉三郎丈の「山姥」と「大蛇」だった。

今でもはっきりその時の情景を覚えている。奇稲田姫から岩永姫へ、大蛇へと役柄を変えつつ踊る玉三郎丈。衣装の色が白から黒、鮫小紋の赤へと変わって蛇体の本性が表される。酒に酔った大蛇の目元がほんのり赤い気すらする、不埒なまでの艶な美しさ。
お囃子を聞き取ることもおぼつかない、本当に何もかも知らない子供は、舞台に魅了されるとはどういうことか、をその日教えられたのだ。

八千代座という空間がまた素晴らしいものだった。もう日本にいくつかしか残っていない、江戸から続く古い芝居小屋で、天井には絵看板が飾られ、桟敷は升で仕切られている。当然キャパも少ない。全部で300人入るだろうか。劇前になると小屋の人がぱたんぱたんと音を立てて蔀を下ろしていく。空間は外部から独立し、熱気は閉じこめられて、小屋は一体のものとなる。
そんな中で見る芝居が幸せなものでないはずがない。(*1)

あの幸運から歌舞伎に入門したことを、今でもしみじみと恵まれていたと考えることがある。あの日があればこそ、今でも私にとって歌舞伎はかけがえのない喜びの一つであり続ける。
そんな僥倖を与えてくれた玉三郎丈と八千代座とに深く感謝している。


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*1
博多座などのいわゆる西洋式の劇場は歌舞伎には大きすぎると常に感じる。(文楽は言うまでもない)
江戸にしてもその前にしても、芝居小屋というのは1000人も入るようなスペースではなかったはずだ。せいぜい100から200人の観客を前提にして作られている芝居を、そんな大きい空間で本当に楽しむことが出来るのは前から30列目当たりまでの高い席を買える人ばかりだ。
しかし、そういう席を買えたにしても、八千代座の二階席で見る武原はんの「雪」の情感には凡そ及ぶまいと思う。