2006-02-21

茶壺と蓋碗


中国茶の茶壺は水道水で洗ってはいけないと言われている。
塩素を吸収して、お茶の味に影響が出るから必ず沸騰したお湯ですすぐのが良いと。

うちにも一つだけ茶壺がある。
高い物ではないが、手作りで、凹凸があるのになめらかな土の表面をしている。
私には大事な物なので、一生懸命マニュアル通りに沸騰湯で洗って使っていた。
そのうちに、お茶に向かう気合いがないときには使わなくなり、 とある蓋碗を入手したのと入れ替わりに台所の片隅の茶道具コーナーに収まってしまった。

蓋碗というのは茶托と蓋のついた茶碗で、これもまた中国茶の茶道具の一つ。
茶を飲むのにも使えるし、淹れることも出来る。
素材は大体磁器かガラスの物が多いのだが、私の蓋碗は土物。常滑の産だ。
おそらく釉はかかっていない、ざらりとした手触り。しかし繊細。
安定性も良く、ガラスなどに比べて熱くなりにくい。とても使いやすいのだ。
その使いやすさと、土物ゆえに雑味を吸収して綺麗なお茶を入れてくれる質の良さに、あっという間に私の中国茶器はこの蓋碗一辺倒になってしまった。

で、ある時ふと気付いたのだ。
私はこの蓋碗を、何の疑問も持たずに水道水で洗っていることに。
日本茶の急須よりも、茶壺よりもよっぽど塩素を吸収しやすそうな蓋碗。
しかし、そのせいでお茶の味が悪くなったとは全く感じられない。
変わらずに甘みの際だつ、すっきりとしたお茶を飲ませてくれる。

台湾茶芸のイメージもあって、中国茶は複雑な手順を踏まなくてはならないと言う無意識の規範にいつのまにやら私も囚われていたようだ。
そんなことよりも、日常の中で茶を楽しみ、茶の時間を楽しむのでなければ、折角の茶器も茶道具も、手元にある甲斐がないというもの。

久方ぶりに茶壺を引っ張り出して台湾の梨山茶を入れた。
茶海にお茶が注がれるこぽこぽと小さな音。
香りが鼻の奥から口に、目の奥にまで抜けていく。
そして、思い切りよく茶壺を水道水で洗った。
きっと味は変わらないだろう。
変わったとしても、それはそれでよいのだ。