2009-08-25
『獣の奏者』完結篇
上橋菜穂子『獣の奏者』完結篇を読んだ。
ずっと気になり続けていた「守り人」シリーズがソフトカバーになったのを機に読み始め、すっかり虜になってじりじりと刊行を待ちながら読んでいた頃に、同じく各所で好評だった『獣の奏者』1・2巻を読んだのだが、その時は正直ちょっと肩すかしを食らったような印象だった。
エンディングがあまりに唐突に大団円になるところと、何よりエリンが(過酷な過去を持ちながらも)前向きないい子であるところが物足りなかったようだ。
アジア文化圏を下敷きにしたと思われる「守り人」の作品世界はかなり細かくリアリティを持って書き上げられている。
よく指摘されるように、作者の上橋さんが人類学者として蓄えた正確な知識が、描かれる文化に陰影と厚みを持たせているのだ。
例えば、『精霊の守り人』でタンダが村に入るときは境界の守りに触り、出るときは触らないようにする、という描写には、昔の村落文化に実際にあった決まり事などがうまく組み入れられている。
まだまだ他にも、おそらくかなり広範囲にわたって実際の文化が作中に導入され、それと上橋さんの想像力がうまく融合されて「守り人」世界が構築されているのだと思う。
しかし、「守り人」の最大の魅力は、チャグムとバルサの関係性にあると私は思う。
母子的な要素を持ちながらもあくまでひとりの大人としてチャグムに手を貸そうとするバルサの微妙な距離感にとても心惹かれるのだ。
ありそうで、大人の女性と子供という間柄では滅多に描かれない関係。
その関係を成立させているのは、やはりつらい過去を背負って、捉われ、苦しみながらも逃げ出さずに生きている大人の女性であるバルサ、というキャラクターの独自性なのだと思う。
あまりにバルサが魅力的なので、エリンに不満を持ってしまったらしい。
今回完結篇で描かれるのは、王獣篇の11年後、結婚して母となったエリン。
過去の重み、しがらみを何とか子供に引き継がせまいと苦悩する大人の女性としてのエリンだ。
バルサとはまた違った魅力と厚みを持ったキャラクターに引っ張られて、分厚い2冊を一息で完読してしまった。
物語の終わりについては今回も賛否があるようだが、国や歴史という大きな存在に対して個人がなし得ることを限界まで行い、結果、しがらみからの解放を得るという流れはかなりきちんと描かれていると思うし、他の終わり方はなかったのではないかと思う。
上橋さんは「1・2巻で完結した世界にさらに書き加えることをためらった」ということを後書きで書いていたが、個人的には完結篇があってこそ、この作品が好きになれた。
次はどんな世界に遊ばせてもらえるのか、今から次作が楽しみでならない。
2009-08-08
コクヨの文庫本ノート
コクヨの文庫本ノート、いいです。
なんかすごく書きやすい。
この書きやすさを作ってるのは罫線だな、と思いますね。
紙質の良さは大事な要素だけど、それだけではこんなに書きやすくはならない。
コクヨの、例えば大学ノートなんかと比べて、罫が気持ち太い。
そして色も少し濃いかな、と思います。でも邪魔にならないぎりぎりの所。
罫の太さが、紙面にちょっと柔らかさを出してる。
邪魔にならないっていうのは、自分的にはかなり重要なポイント。
罫が気になると、紙と長時間向かい合ってるのがしんどくなってしまう。
いいバランスで作ってあるな、と。
他にもお気に入りポイントが。
▼しおりがついている
新潮文庫ライクな感じのグレーのしおり。(新潮は茶色)
▼インデックスを付けられる
紙カバーの見返しにリスト用のスペース、ページ端にタグを付けるスペースが
あらかじめ設けてあります。
書いたものを検索するための既存のノウハウですがはじめから準備してあるのはやっぱりありがたい。
▼糸とじ
製本も文庫的に糸とじで。
のり付けよりも開きやすいので、この辺も書きやすさにつながってますね。
◆ ◆ ◆
一緒に5ミリ方眼のタイプも買ったので、早くこっちも使ってみたい。
ものを書く紙面としては方眼が一番好きなので。
一緒に5ミリ方眼のタイプも買ったので、早くこっちも使ってみたい。
ものを書く紙面としては方眼が一番好きなので。
2009-08-02
2009-08-01
源氏物語のテキスト
以前、院の頃に与謝野晶子源氏を通読したことがある。
(今は随分ラブリーな表紙になっちゃってますが、前の切り絵風のバージョンで)
言葉遣いが典雅で、とても雰囲気があるんだけど、いかんせん人物名がその時点での役職名で書いてあるので、この巻での左大臣は「誰」なのか、という把握ができなくて結構混乱した。
その後、原文を読んでみようと思い立ち、北村季吟『湖月抄』(江戸時代の注釈書)を「雨夜の品定め」で挫折。(あんなつまんない場面を名文とか言う人の気が知れない。)
◆ ◆ ◆
今回は「きちんとした現代語訳」を読もうと思い立ち、いろいろ検索して決めたのがこれ↓。
玉上 琢弥『 源氏物語―付現代語訳(角川ソフィア文庫) 』
現代語訳だけ読めればいいかと思ったんだけど、訳注が原文の方についているので原文に目を通しているうちに、主に原文を読んで訳で補完する、という読み方に。
(だから恐ろしく進みが遅い。)
さらっと読めるところもあるけど(主にA系)、発言者を勘違いしたり、誤読したりするところも多い。
でも自己満足的ではあっても、やはり極力書かれたものに近いテキストを読むのが楽しい気がする。
この玉上琢弥氏のバージョンは、学術書として出された注釈書の簡易版なので、脚注以外にもいろいろおまけがついていてとても助かる。
巻ごとの(←ここポイント高い)人物相関図や、年表、引用漢文の白文、内裏図、京都図などなど。
カルチャースクールの源氏講座の教科書に指定されたりするらしいのもうなづける。
これが文庫で手軽に手にはいるなんて、ありがたい限りだ。
◆ ◆ ◆
ゆっくりではあっても今回は楽しんで読んでるので、きっと須磨帰りはないはず。
しかし、「夢の浮き橋」までたどり着くのはいつのことやら。
源氏物語
冬ぐらいから気長に読んでる。
(54帖頑張ってると他の本が2年ぐらい読めなそうだから。)
今「賢木」の巻。
葵の上が亡くなって、六条御息所が斎宮になった娘と一緒に伊勢に下向する前ぐらい。
これは読んだ人なら誰でも思うんだろうけど、あんなレベルの高い文学が1000年も前に書かれたことが、まず信じがたいぐらいすごいこと。
そして、源氏物語を基底として日本文学が発展して来られたのは奇跡に近い幸運だと、私は思う。
◆ ◆ ◆
今まで読んできた中では、「夕顔」が特に素晴らしかった。
「夕顔」はいわゆるB系に当たり、要は後から書かれて差し込まれたと考えられている巻の一つ。
なので「桐壺」などと比べると、テキストが技巧的で、ちょっと読みづらく感じるところがある。
けど、夕顔が亡くなる前後の描写はちょっとしたホラー顔負けの迫力だし、源氏が参内しなかったのを心配して訪れた頭中将との問答もなかなかの緊迫感で読み応えがある。
私が特にすごいと思ったのは、源氏が夕顔の野辺送りに行く場面。
綺麗な死に顔を見て、亡くなったとはとても信じられない、自分の手で見送らねば、と思い詰めた源氏。
本当は行ってはならないと分かっているので、身をやつして馬でこっそり出かける。
その場面で一言、「道が遠く感じる」と書いてあるのだ。
なんだかこの一言で、源氏の落胆、悲しみが一気に分かってしまって、思わずため息が出るようだった。
◆ ◆ ◆
ひとは1000年前とそんなに変わっていないから、私たちは古典を楽しむことができるんだと思うけど、やはり源氏物語は別格だ。
伊勢物語や他の同時代の作品にも優れたものはあるけど、とてもじゃないが格が違うと思う。
まだまだ先が長い。
楽しみが長いってことは素晴らしい。
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