冬ぐらいから気長に読んでる。
(54帖頑張ってると他の本が2年ぐらい読めなそうだから。)
今「賢木」の巻。
葵の上が亡くなって、六条御息所が斎宮になった娘と一緒に伊勢に下向する前ぐらい。
これは読んだ人なら誰でも思うんだろうけど、あんなレベルの高い文学が1000年も前に書かれたことが、まず信じがたいぐらいすごいこと。
そして、源氏物語を基底として日本文学が発展して来られたのは奇跡に近い幸運だと、私は思う。
◆ ◆ ◆
今まで読んできた中では、「夕顔」が特に素晴らしかった。
「夕顔」はいわゆるB系に当たり、要は後から書かれて差し込まれたと考えられている巻の一つ。
なので「桐壺」などと比べると、テキストが技巧的で、ちょっと読みづらく感じるところがある。
けど、夕顔が亡くなる前後の描写はちょっとしたホラー顔負けの迫力だし、源氏が参内しなかったのを心配して訪れた頭中将との問答もなかなかの緊迫感で読み応えがある。
私が特にすごいと思ったのは、源氏が夕顔の野辺送りに行く場面。
綺麗な死に顔を見て、亡くなったとはとても信じられない、自分の手で見送らねば、と思い詰めた源氏。
本当は行ってはならないと分かっているので、身をやつして馬でこっそり出かける。
その場面で一言、「道が遠く感じる」と書いてあるのだ。
なんだかこの一言で、源氏の落胆、悲しみが一気に分かってしまって、思わずため息が出るようだった。
◆ ◆ ◆
ひとは1000年前とそんなに変わっていないから、私たちは古典を楽しむことができるんだと思うけど、やはり源氏物語は別格だ。
伊勢物語や他の同時代の作品にも優れたものはあるけど、とてもじゃないが格が違うと思う。
まだまだ先が長い。
楽しみが長いってことは素晴らしい。
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